2024/08/13 相続・遺言
自筆証書遺言が方式違背によって無効となる場合
本コラムでは、自筆証書遺言が方式違背によって無効となるかが争われた裁判例を紹介します。
1、自筆証書遺言の方式
2、方式違背が争われた裁判例
⑴自書
⑵日付の記載
⑶氏名の記載
⑷押印の有無
1、自筆証書遺言の方式
民法968条1項は、「自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない。」と規定しており、①全文の自書(例外については後述)、②日付の自書、③氏名の自書、④押印の要件を満たして作成する必要があります。
2、方式違背が争われた裁判例
⑴自書が争われたケース
・最判昭和62年10月8日民集41巻7号1471頁
他人の添え手を受けて記載した場合に「自書」と認められるかが争われた事案です。
裁判所は、
(1)遺言者が証書作成時に自書能力を有し、
(2)他人の添え手が、単に始筆若しくは改行にあたり若しくは字の間配りや行間を整えるため遺言者の手を用紙の正しい位置に導くにとどまるか、又は遺言者の手の動きが遺言者の望みにまかされており、遺言者は添え手をした他人から単に筆記を容易にするための支えを借りただけであり、かつ、
(3)添え手が右のような態様のものにとどまること、すなわち添え手をした他人の意思が介入した形跡のないことが、筆跡のうえで判定できる場合には、
「自書」の要件を充たすものとして、有効であると判断しました。
このように、添え手を行って記載した遺言については、上記⑴から⑶の要件を満たすかを検討する必要があります。
補助者が積極的に手を誘導し、補助者の整然と字を書こうとする意思に基づき本遺言書が作成されたような場合には、無効となるものと考えられます。
⑵日付の記載が争われたケース
・最判昭和54年5月31日民集33巻4号445頁
遺言書に、「昭和四拾壱年七月吉日」と記載されていたケースで、日付の記載として認められるかが争われた事案です。
裁判所は、「日附は、暦上の特定の日を表示するものといえるように記載されるべきものである」と述べたうえで、「証書の日附として単に「昭和四拾壱年七月吉日」と記載されているにとどまる場合は、暦上の特定の日を表示するものとはいえず、そのような自筆証書遺言は、証書上日附の記載を欠くものとして無効であると解するのが相当」として、日付の記載を欠くものとして無効であると判断しました。
・最判昭和52年4月19日家月29巻10号132頁
遺言者が遺言書のうち日付以外の部分を記載した8日後に当日の日付を記載して遺言書を完成させた事案です。
裁判所は、「遺言が成立した日の日附を記載しなければならないことはいうまでもない。」と述べたうえで、「しかし、遺言者が遺言書のうち日附以外の部分を記載し署名して印をおし、その八日後に当日の日附を記載して遺言書を完成させることは、法の禁ずるところではな」いとし、「遺言書は、特段の事情のない限り、右日附が記載された日に成立した遺言として適式なものと解するのが、相当である」として、(八日後に当日の日付を記載して遺言書を完成させたという事実関係の下では)日付が記載された日に成立した遺言でとして有効であると判断しました。
⑶氏名の記載が争われたケース
・大阪高判昭和60年12月11日家月 39巻1号148頁
名前の記載が戸籍上のものと異なったケースで、裁判所は、生前被相続人が自己の名前の表示として「●●」(通称)を用いたこともあったことと、本件土地を控訴人に相続させるという本件遺言の内容を併せ考えるときは、「●●」(通称)の表示は遺言者たる者の氏名の表示として十分であるとして、遺言を有効と判断しました。
戸籍上の氏名の記載ではなく、通称の使用であっても、遺言の効力が認められた裁判例として参考になります。
⑷押印が争われたケース
・東京地判平成12年9月19日金商 1128号61頁
自筆証書遺言に押印がなかったケースにおいて、遺言者の真意に基づいて自書したものであるから、同人の押印を欠いても、これによる遺言は自筆証書遺言として有効であると主張して争われた事案です。
裁判所は、立法論としては押印を不要とする考え方も有力であることに触れつつも、「しかしながら、我が国における法意識としては、今なお、署名よりも押印を重視する傾向が強いというべきであり、民法968条1項が「これに印をおさなければならない」と明確に規定している以上、本件遺言書のような遺言者の押印を欠く自筆証書による遺言は、当該自筆証書中に遺言者の押印と同視し得るものがあるなどの特段の事情のない限り、無効であるといわざるを得ない。」として、押印のない自筆証書遺言を無効と判断しました。
・大阪高判昭和48年7月12日民集28巻10号2165頁
日本に帰化したロシア人による遺言において、押印がなく、その効力が争われた事案です。
裁判所は、「文書の作成者を表示する方法として署名押印することは、我が国の一般的な慣行であり、民法九六八条が自筆証書遺言に押印を必要としたのは、右の慣行を考慮した結果であると解されるから、右の慣行になじまない者に対しては、この規定を適用すべき実質的根拠はない。」と述べたうえで、
「このような場合には、右慣行に従わないことにつき首肯すべき理由があるかどうか、押印を欠くことによって遺言書の真正を危うくするおそれはないかどうか等の点を検討した上、押印を欠く遺言書と難も、要式性を緩和してこれを有効と解する余地を認めることが、真意に基づく遺言を無効とすることをなるべく避けようとする立場からみて、妥当な態度であると考えられる。」としました。
その上で、遺言者の生活意識は、一般日本人とは程遠いものであったと推認されることや、遺言書に押印しなかったのは、サインに無上の確実性を認める欧米人の一般常識に従ったものであること、欧文のサインが漢字による署名に比し遥かに偽造変造が困難であること等を考慮し遺言を有効としました。